M−1見てて思ったこと

最近はピン芸人が流行ってるけど基本的には全員同じネタだ。
形を変えてはいたが「あるあるネタ」。
演者が「一般的認識事象」に対して突っ込むことに
客が「あるある」と同意するというパターン。
エンタ以来、腐るほど形を変えて出てくる。
 
漫才の場合、演者の一方である「ボケ」が存在するために
「ツッコミ」が「一般的認識事象」でなく、
「ボケたこと」に対してつっこむ。
 
つまり、ピン芸人には「一般的認識事象」にしか突っ込めないという
欠点というか制限があるが漫才にはそれがない。
 
もちろん、漫才にも「一般的認識事象」という考えは必要だ。
ボケはそれを基にして組み立てられる。
「ボケ」すなわち「おかしなこと」というのは
「普通のこと」という共通認識の基に成り立っているからだ。
たとえば「シャブコン」というボケがあったとしても
「シャブコン」がどういうものであるかという共通認識が無い限り、
回りは「?」か、よくて「そういうのがあるのだな」という反応になる。
この辺は「楽屋落ち」という手法もあるので成り立たないわけではないが
客が好意を持って聞いていないと笑いにはつながらない。
 
まとめてみる。
ピン芸人 「一般的認識事象のわずかなズレ」<「つっこむ」
漫才 「一般的認識事象」>「ボケの一般的でない認識」<「つっこむ」
ピン芸人」とはボケ所がない「ツッコミ芸人」なのである。
 
続きます