パラドックス

文章という物は往々にして「ウソ」だ。
あったことをすべて伝えるわけでなく、
自分の都合のいい部分だけ抜粋し、
体裁を整え、
読み手の感情をコントロールするかのごとく
組み立てられる。
 
話してウソをつくより
文章でウソをつくほうが何倍も楽だ。
何度も反芻し、ほつれがないか検討し
都合の悪いことは隠蔽し歪曲し作りかえ
組み立てることができるため、練りに練ったウソができあがる。
 
だから、ネットで作り上げられた人格などを
信用してはならない。
当然このブログもウソだらけだ。
 
生来ウソはつかぬほうだったと思う。
ウソをつこうなどとも思わなかった。
ただ色々な人間関係が出来ると
ウソをつかなくて済むように感情を隠すようになった
そんなことが煩わしくなって一人で生きようかとも思った。
一人で生きられると思っていた時、
自分は大丈夫だと信じていた時、
大事な物を失って
それか完全な思い上がりだったと思い知らされた時
自分が自分にウソをついていたことを自覚した。
 
「大丈夫」だとウソをいい
「たいしたことはない」とウソをいい
「自分の感情を表に出さない」ウソをつき
「いつも笑顔」のウソをつく
 
今では一番大事な
本当にちゃんと伝えねばならぬ事まで
はぐらかし、冗談めかしてしか伝えられない。
 
人にウソをつくことが多くなった
それ以上に自分にウソをつくようになった
臆病者になった
 
 
嘘つきのパラドックス
http://www.ffortune.net/kazu/logic/paradox/para01.htm